image


以前購入したこの本を、またぱらぱらめくっていたところ、人気ブロガー、名刺の達人こと「高木芳紀さん」が書かれたコラムに『恩送り』ということばがありました。 

『恩送り』という言葉に近い概念かもしれません。すなわち、自分がこれまでに受けた恩は、必ずしも受けた相手にお返ししなくてもよい。

むしろ他の人に(できれば少しでも大きくして)送っていけばよい、というものです。わたくしのまわりで、事がうまくまわっている人をみていると、ものずごくそれを感じます。


ふむふむ、恩返しではなく恩送り。耳にされた方もいることと思います。そこで、wiki先生にご登場いただきました。
「恩」とは、めぐみ、いつくしみのことである。

誰かから受けた恩を、自分は別の人に送る。そしてその送られた人がさらに別の人に渡す。そうして「恩」が世の中をぐるぐる回ってゆくということ。

「恩送り」では、親切をしてくれた当人へ親切を返そうにも適切な方法が無い場合に第三者へと恩を「送る」。恩を返す相手が限定されず、比較的短い期間で善意を具体化することができるとしている。社会に正の連鎖が起きる

江戸時代では恩送りは普通にあったと井上ひさしは述べている。
実際、例えば『菅原伝授手習鑑』などにも「恩送り」という表現は見られる。


難民の人たちに、逆に教わった

私が20代の頃、東南アジアを数年にわたりバックパックしていたことは何度か書きましたが、その時、どれだけ現地のヒトたちにお世話になったか。

特に、タイ〜ミャンマー国境付近の難民キャンプでボランティアをしていた時は、難民のヒトたちに助けられっぱなしでした。彼らは、自分たちの食べ物でさえままならないのに、客人をもてなす心をしっかりと持っていました。

竹でできた家は隙間だらけ。家具も、食器もほとんどないけど、私たちにごはんを食べさせてくれ、ときにはお酒まで振る舞ってくれたのです。

ニューカレドニアでも、モンゴルでも、オーストラリアの内陸地でもそうでした。助け合いの精神が残っていたのでしょう。

私はもちろん、通りすがりの旅人に過ぎません。でも、その地から動くこともままならない彼らにとっては、外からの便りを運ぶ風でもあったのでしょう。

まだオーストラリアからの郵便が日本に届くまで1週間以上かかる時代でした。だから、私が去る時にはどんなところでも本当に名残惜しんでくれました。

わたしは、言葉とかそんなものを超越した、大切なものを教わったように思います。
 

直接は無理だけど、、

そんな経験から、この受けた恩を何らかの形で還元したいな、と思うようになったのです。当の本人達には直接はお返しできないかもしれない。でも、別の形でご恩返ししていこう、と。

数秘術でみてもらったとき、こう言われました。『自分の中にあるものをみんなに循環させたい』人ですね、と。そうなのでしょうね。自分も、人も、みんな豊かで良い、とはっきり思っていますから。

『恩送り』

受けた恩も、お金も、人とのご縁も、すべてエネルギー、気です。おおもとは無限なのです。これをどんどん循環させることが、気の巡りを良くする、ということでもあります。健康の源ですね!

久しぶりに、当時お世話になった方々の顔がたくさん浮かんできました。彼らを思いつつ、今日も恩送りをして循環させよう、といました。

(2014.4.17のアメブロ記事を加筆修正しました)



■遠藤レーコ:プロフィール
■よりあたふたな日常お届け中!