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わたしは子どもの頃からモノづくりが好きだった。何か工夫したり創作することは、自分を語る上で書かせないキーワードでもある。

小さいころは、父親が何でも作る人だったので、その傍らで木のかけらなどを積み木がわりにあそんでいた。

中学生頃になると、そろそろオシャレにも興味が出てきたので、Gパンに刺繍やパッチワークをしたり。ミシンにもトライしたけど、ズボンの裾上げで、間違って同じ側を2度上げてしまってからは、洋裁・裁縫系はどうも苦手だ。

でも、アジアの布などが大好きで、学生のときにはろうけつ染めをやっていた。

絵を描くことも昔から好きだった。油絵は20年以上続いている。

基本、何もないところから形になることや、何かに手を加えることで別のものとして生まれ変わるとか、そういうことが楽しくて仕方ない。


インディアンフルートは愛を届ける


去年、神奈川県の藤野でインディアンフルートを作るワークショップに参加した。楽器作りは初めてだったからか、あまりにも楽しくて「楽しい〜楽しい〜♬」を連発していた。

そして、なぜそんなに楽しいのかを、作り方を教えてくれたガイネさんと話した。
祖先たちは昔々そのむかしから、すべての道具を作ってきた。それは、食べ物を得るためだったり、雨風をしのぐ家を作ることだったり。

つまり自分たちが安心して暮らすためのものだ。

動物は、安心できる、ということが「快」や「楽しい」につながるし、それは今を生きるわれわれのDNAにも刻み込まれている。

モノツクリは祖先から受け継いだ原始の血がよろこぶ行為だ。特に素材が木や紙や布などの自然のものだったらなおさらだよね。

しかも、作ったのは楽器だ。「楽しい器」だ。

インディアンフルートは、通信手段もなかった時代に、遠くにいる愛しい人に、風に音をのせて想いを届けるためのものだった。

くうぅぅ〜〜〜〜〜〜っっ


家は「癒え」、すべてを癒やすところ


さらにわたしはこうも思う。
自分とは、その血を脈々とつないでくれたすべての先代たちの集合体である。

このブログを書くことも含め、何か道具やモノを作る行為で自分を楽しませることは、祖先からの血も楽しませている。つまり、

モノツクリは、祖先の供養』でもあり、時空をへて、祖先とともに生きることなのだ。

中でも、小屋を作るというのは、その究極の行いだと思っている。いにしえより、ずっと祖先たちが行ってきた、身内を守るための小さな家。

何の計らいかは知らないが、わが富士見町には縄文遺跡や縄文の土器が展示されている井戸尻考古館もある。

八ヶ岳周辺は、縄文の時代から、祖先たちがイキイキと暮らしていた地だ。土器をつくり、服をつくり、暮らしをつくって生きてきた。

その地にわたしも小さな家をつくる。

いえは癒えるにも通じる。
家をつくることで、ひとが癒え、土地が癒え、祖先が癒される。

それは、すべての祖先に感謝を捧げる行為でもあるのだ。



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■遠藤レーコ:プロフィール


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