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場づくりを提唱するれんげ舎長田さんのツィートの中で、應典院・秋田ご住職の言葉がとてもしっくりきた。



わたしが幼い頃、家は新聞屋さんをやっていた。なので、新聞配達をする若い衆やらお手伝いのお姉さんがたくさんいて、かわいがってもらった記憶がある。それに、4人兄姉でおばあちゃんもいたから、常に誰か人のいる家だった。

祖父は、別の家でお妾さんと暮らしていた。小さい頃はその女性をお手伝いさんと思っていたのだが、少し大きくなると、なんだかなあ。オトナはよく分からない、と見ないフリをしていたように思う。

それでもよく、家にはおばあちゃんの妹たちが深川の方から遊びに来ては大声で喋っていたし、姉の友人の染谷くんもなぜか毎週日曜日にお昼ごはんを一緒に食べていた。

いま考えても不思議な家、不思議な空間だった。まるで、おとぎ話しのような。いや、漫画か。笑

要するに、どこまでが血縁の家族なのかわからないまま育った感じなのだ。だから、わたしは「血縁」という境界が非常にあいまいというか、はっきり言って無いのだと思う。

どこに行っても、最初からそこんちの子どものようにちゃっかり座っていられるのも、おそらくそのせいだ。


家族を超えた家族〜オハナ〜

ツィートにも書いたけど、ハワイでは血縁を超えた家族をオハナというそうだ。ベトナムに行ったときにも、現地の子と仲良くなると、本当に「お姉さん」として迎えてくれた。

20代でバックパックの旅をして、心底思ったのは人間とは「縁」で生かされているということ。

血縁とは、始めから与えられたもの。
結縁とは、なにかのはからい、ご縁によって結ばれてゆくもの。

子どもの数が少なくなってゆく今後、家族の在り方も変わってくる。婚姻関係を選択しない夫婦や、同性愛カップル、養子縁組もたくさん出てくるだろう。面白いじゃないですか。

家族の在り方が多様化してくるということだから、それを自覚的に先取りしておきたい。

多様化は、文化を生み、新しい価値観を提供してくれる。


タイニーハウスファミリー

たとえば、タイニーハウスがいくつか集まって、コミュニティを作る。一人でいたいときは一人でいればよい。誰かと一緒にいたければ、隣の家までビールを持って数歩歩いて行けばよい。

それぞれプライベートは守られつつも、ゆるやかにつながっている。もちろん、大変なときにはサポートし合うし、お互いに子どもやペットの面倒を見たりもする。

こうなると、よその子も自分の子になる。だって、可愛いですもの。

そしたら、たとえばある夫婦に子どもができないからといって、捨て石になる必要もまったくない。隣の子は自分の子なんだから。その人たちはその人たちにできることをすれば良いだけだ。

ネパールの子どもの里親にだってなれる。そこで交流が生まれたらまた楽しい。ネパールにも家族ができちゃうなんて、ワクワクする。そうして、世界にたくさんの家族ができたら、戦争とかいってられなくなる。

もちろん、両親やきょうだいなど血縁の家族がいることはありがたい。それに、まったくの他人だった二人が結婚して夫婦となって子どもを育て、一つの家族になっていく姿なんてそれだけで感動的だ。

友人のファミリーは、おばあちゃんもワンコも、息子夫婦や娘もその友だちもいつも仲が良い。FBからこぼれる笑顔についこちらも微笑んでしまう。

その上で、従来の家族制度をもう一度見つめなおし、植え付けられた幻想を解き放とう。そうすれば、偶然によって結ばれた「えにし」をどこまでも大切にできる。

要は、ご縁のある人たちを本気で血縁同様の家族と思えるかどうかで、結縁家族、オハナが知らぬ間に大きく育っていくということだ。

【続き】
▶︎ 仏さまと縁を結ぶのが「結縁」。では仏さまとは?