母が2年半前に亡くなり、主のいなくなった親の家をせっせと片づけ始めた。

母親は、いわゆる「片づけられない女」だったので、出るわ出るわ。車何台分かわからないほど処分した。それは、介護しているときよりも、よほどエネルギーを消耗する作業だった。憔悴といってもよいくらいだ。

実家は東京市部にあるが、無意味に広くて寒く、使いづらい。収納にいたっては押し入れ8間分くらいはゆうにある。その中にぎっちり。

しかも、めっちゃくちゃに詰め込まれていて、とびらを開けるたびに、圧倒的なモノの量に打ちひしがれた。いや、モノへの飽くなき執着に打ちひしがれたのだ。

なんというか、「昭和の時代」という大きな障壁がズシンとわたしに襲いかかってくるような。

例えば、40年前の結婚式の引き出物、毛皮、大量の服、靴、着物、何年も前に賞味期限が切れている油が何本もあったり、ネットワークビジネス系の界面活性剤が高濃度で使用された洗剤の山だとか。orz


もっともっとの幻想

母親は昭和ヒトケタの生まれで、モノがない時代の人だから、捨てられないのは分かる。ひもから紙袋からなんでも捨てずにいた。

でも、戦争を経て、高度経済成長やバブル景気に突入し、モノが手に入るようになった時に、異常なまでの執着心をもってモノを買い求めていたのだ。何かに取り憑かれたように。

だけれどそれは、母親、という個人の問題だけでは決してない。資質はかなり関係するだろうが、戦後日本という共同体がたどった道、とも思えるのだ。

敗戦により暗く沈んだ世相は、逆向きのベクトルで大きく振れる。アメリカの圧倒的な豊かさという幻想が、これでもかとテレビから垂れ流された。そして、大量消費へと走りはじめた。戦争に負けた、というとてつもない負の遺産にフタをするように。

昭和という時代が生んだ狂想曲。
もっと大きく、もっと豊かに、もっともっと・・・


執着を断つということ

だが、あれだけ執着していたにもかかわらず、母親があの世に持って行ったモノは当たり前だがひとつも無い。残されたのは、この世に置いて行った大量のゴミ。 

もちろん、親の家の片付けを業者に任せるという選択もあった。お金で解決することはある意味スマートだ。ただ、何故か自分がやらなくては、という思いが頭をもたげた。

存命中も、大きく片づけたことはあった。そのときに、捨てても拾ってくる母親とのいたちごっこで、何度も挫折を繰り返していた。

亡くなって、これで本当の片付けができる、しなくてはという強迫めいた義務感にかられ、これでもかというくらい、来る日も来る日もゴミ出しに追われた。

だけどいつからか、捨てるたびに思うようになった。ああ、親の執着を断っているのだな、と。それは昭和という「時代の執着」を断つことでもあると気がついた。モノへの依存からの脱却、呪縛からの解放。

押入れがひとつ空っぽになるたびに、家の空気が流れ、自分が軽くなるのを感じた。

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冷蔵庫がなくなってみたら

ベッドやたんすなどはシルバー人材センターに引き取ってもらった。もう大きな家具はほとんどない。とうの昔にテレビは無いし、食器類も捨てたり人にもらっていただいたり。家自体がかなり空っぽになってきたが、それでもレンジや冷蔵庫はあった。

そんな折り、甥が会社の寮を出て一人暮らしを始めた。実家の冷蔵庫を使うか聞いたら、使うという。キレイに掃除をして、宅配業者に配送をお願いした。 

そしたら、もともと広い部屋がさらに広がった。思った以上に、場所をとっていたのだ。なぜかめちゃくちゃ気が楽になった。今、実家にいるときはクーラーボックスが冷蔵庫だ。 

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大きなモノはそれだけで空間も意識も占拠する。それは大きな家も同じ。移動も掃除も大変だ。何しろ昭和の家は、それでなくても寒いのに、モノが無くなり余計に寒くなった。

わたしはもう、大き過ぎる家に体温を奪われたり大量のモノに自分の意識をとられることはまっぴらごめんだ。

それより、野草を摘んだり、友だちと味噌をつくったり、笑い合ったりすることに多くの意識を向けたい。

家は、使いやすくてこじんまりしていれば良い。身の回りは、わんこや友だち、いつまでも相思相愛の関係でいられるほんの少しのモノに囲まれていれば十分満ち足りる。



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